wataame_1985の日記

B'zファンです。歌詞考察がしたくて始めました

SCENE.3「恋じゃなくなる日」について

SCENE.3「恋じゃなくなる日」に入る前に

2-2「Love is ...」について軽く触れておきましょう。

「Love is ...」はSCENE3.の「恋じゃなくなる日」のインスト曲となっており

表記としてはSCENE2.「僕の罪」の続き、ととることができます

 

つまり、「僕の罪」と「恋じゃなくなる日」がつながっていますよ、という表現のために入っているのが「Love is ...」だといえます。

 

ということで「僕の罪」から続くエピソード「恋じゃなくなる日」の考察に入ります。

まずはいつもの、歌詞のおさらいです。

 

恋じゃなくなる日

 

冬の海辺をあてもなく歩いて 二人で貝殻集めて

人もまばらな橋の上のベンチで いつまでも波音を聞いている

 

言いたいことが からだの奥で渦巻いてるけど

言葉にできない そのことに今はいらだつこともないよ

 

うつむくしぐさに孤独の疲れが 見えても何もできなかった

引きずることでも突き放すことでもない 曇った気持ちを抑えてる

 

昔によく似た日々が続いている ワインを飲みながら踊って

君の部屋のソファーにも座った でもけっして昔と同じじゃない

 

ほんの少し離れて歩く 傷つかないように

ほんの少し口数を減らしてる 大事なものなくさないように

 

冷たい風が僕らを近づける くすぶる想い見透かすように

強い戸惑いを意味のない笑顔に すり替えてまた戸惑う

小さな貝殻にひとつずつ絵をかいて おもいでを砂に埋めていく

遠くで響いてる鐘は何かの 終わりと始まりを告げている

 

恋という形のために 壊れるものがあること

知っているのに会いたくなるのは 恋だから 愛だから それとも…

 

僕らが追ってる夢は本当は 同じものかもしれないけど

恋はいらないとつぶやく僕は ただのひとりよがりだろう

真夜中歩道で突然その腕を 組んできた君はとても綺麗で

そのまま僕はじっと空を見上げてる 恋じゃなくなった日の空を

 

作詞 稲葉浩志

 

Friends全体の考察をしたことがない人も、この歌が「恋じゃなくなって何になったのか?」と考えたBroも多いのではないでしょうか?

 

SCENE2.僕の罪

2‐2.Love is ...(恋じゃなくなる日のインスト)

SCENE3.恋じゃなくなる日

 

と続くこともあり、これは「僕の罪」の別視点の曲だと考えます。

曲順の表現以外にも

 

僕の罪

やりたいことをやるためだと それぞれの道を選んで

別れたことをすっかり 忘れてしまいそうな時が続くよ

 

恋じゃなくなる日

昔によく似た日々が続いている ワインを飲みながら踊って

君の部屋のソファーにも座った でもけして昔と同じじゃない

 

この表現に意識的な関連性を感じます

 

考察できるポイントが多すぎるので、まずはざっくりと。

まず、この曲は「恋じゃなくなった日」の出来事が中心になっています

 

1番では別れたことを男性の心境を描くことで説明していますね。

 

2番では、2人の距離感や行動で、くすぶっている二人を丁寧に描写していますが

終わりの2行でなにかの区切りのような表現が入ります。

 

そして最後は、揺れる男性の心境が描かれた後

「恋じゃなくなった日の空」を見上げて曲が終わります

 

ざっくりとした考察としてはこんな感じですね。

 

ポイントとしては、歌詞に出た順で上げると

曇った気持ちを抑えてる」

大事なものなくさないように」

何かの始まりと終わりを告げている」

「ただのひとりよがりだろう

恋じゃなくなった日の空を」

 

ほかにも考察ポイントはいっぱいあるのですが、とりあえず重要なものを。

まず「曇った気持ち」ですが、これは

「(ちゃんとお別れして、君を)引きずることでも」

「(ちゃんとお別れして、君を)突き放すことでもない」

「だらだらと会いたくなってしまう気持ち」でしょう

僕の罪の「別れたことをもうすっかり忘れてしまいそうな時が続くよ」につながる、はっきりできない気持ちの表れですね。

 

大事なもの

「ほんの少し離れて歩く(自分が)傷つかないように」の反対の表現として

「ほんの少し口数を減らしてる 大事なもの(君を)なくさないように」

という意味合いの表現です。多分!

もしかしたら、大事なものは夢かも?とも思っています。

ここは今後変わるかもしれないです。

 

何かの始まりと終わり

これは、上記の考察から推測すると

「ダラダラと会ってしまう関係の終わり」と「愛の始まり」ですね

 

「ただのひとりよがりだろう

ここ、そんなに重要??って思うかもしれないですが。

「恋という形のために壊れるものがあること

知っているのに会いたくなるのは 恋だから 愛だから それとも」

から繋がる、恋がいらないと思いながらも会いたいと思う自分を納得させるために必要な「言い訳」に近いものだと思うんですよね。

 

同じ夢を追っているかもしれないけど

「僕」は恋はいらない、夢だけでいい、と思っている

でも「君」はそうじゃない。夢を追っているけど、恋もしたい。

じゃあ、「君」の意見を尊重するね。「僕」の意見はひとりよがりだろうから。

という、「納得」というよりは「迷いながらも折れた」ような表現として

「だろう」という自分でもはっきり把握していない表現にしてあるんだと思います

 

では、最後の

「恋じゃなくなった」

何になったんでしょうね?

「腕を組んできた」に別れの意味を見出す人は少ないと思います。

ヨリを戻した表現といえると思います。

 

ここで、いつかのメリークリスマスで生まれた考察の種が芽吹きます

「複数年を回想している」

2番以降のサビで出てくる「人を愛するということに気が付いた」とあるように

恋は愛に変わったんです。

 

恋じゃなくなる日は、愛に変わった日 でした。

でも、なんだか煮え切らない感じですね。夢を選ぶ日が来る(考察の種より)が分かっているからでしょうか?

 

次はSCENE4.SCENE5の考察です

よかったら次回もおつきあいください。

 

「考察の種」

小さな貝殻に一つずつ絵を描いて おもいでを砂に埋めていく

 

大事なものなくさないように